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「起業家はなぜ起業するのか?」というテーマは、もしかしたら「人間はなぜ犯罪をしてしまうのか?」という犯罪心理学と似てくるかもしれません。
同じサラリーマンでも、「定年まで勤め上げたい」と願っている人と、「いつかは起業したい」と思っている人の違いがいつ頃から、どのようなことがきっかけで生じるのかを解明することは、産業心理学と似てくるかもしれません。
同じような学校教育を受けていても、同じような仕事をしていても、人が考えつかない独創的なビジネスアイデアを考えつく人と考えつかない人がいます。どこが違うのか? その解明は学習心理学や思考心理学と似てくるかもしれません。
起業家を目指す人が「サラリーマンから起業して、やがて成功していくプロセス」の解明は、子供の成長段階を追う発達心理学と似てくるかもしれません。
自分の職業上の能力向上を目指している人の中には、制約多い組織人としての身分に飽きたらずに、高度なレベルの仕事への挑戦を求めて起業する人もいます。そのためキャリア心理学とも似てくるかもしれません。
周囲から「社長」と呼ばれる人でも、自分で起業した創業経営者と、親の創業した会社を継いだ跡継ぎ経営者や、社内で出世の階段を登り詰めて社長になったサラリーマン経営者との違いを解明することは、人格心理学と似てくるかもしれません。
マスコミは成功した起業家を一度は称賛記事で持ち上げておきながら、事故や事件、トラブルなどから一転して避難非難記事でたたくことが多いですが、その理由を解明することは、社会心理学と似てくるかもしれません。
私は各地の起業セミナーで「起業家の成功要因・失敗要因」を話すときに、誰でも理解しやすいように「起業」と「結婚」を対比しながら説明することがあります。そのため、結婚心理学とも似てくるかもしれません。
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東横女子短大の2006年の「紀要」が刊行されました。第40号のpp.99〜109で、私の書いた「起業心理学の確立を目指して」とが「研究ノート」として掲載されています。
そこでは、下記の7つの立場の人々
A.「起業したい」と考えている人(願望者)
B.実際に起業した人(起業家)
C.起業に失敗したことのある人(経験者)
D.「家族が起業する」ことが心配な人(心配者)
E.「起業したい人」「起業した人」を支援する人(支援者)
F.「成功した起業家」に興味が有る人(羨望者)
G.「日本を変える起業家」に興味が有る人(待望者)
が各々抱えていることを、「過去の反省」「現在の分析」「未来の課題」の3区分に整理してA4版縦長サイズにまとめた一覧表を掲載しています。
さらに「起業の成否を分ける分岐点」を、
①「始めたい」のに始められない人の理由
②「始める」ことができる人の理由
③始めたけど続けられない人の理由
④「続ける」ことができる人の理由
⑤いつまでたっても成長しない人の理由
⑥やがて「成長する」ことができる人の理由
の6項目に整理してA4版横長サイズにまとめた一覧表も掲載しています
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起業心理学では「起業家精神の解明」は必要不可欠な重要項目です。この「起業家精神」については、現在下記のような面白い現象がみられます。
①「起業家精神」の必要性が叫ばれているわりには、その内容が明確になっていない。つまり、叫んでいる人も、それを聞かされている人も、実は、何が起業家精神なのかが共通の認識になっていない。
だから
②「起業家精神」の「有無」や「強弱」「個人差」などを計りたくても、そのための尺度(基準)が確立されていない。
だから
③「起業の成功要因と失敗要因」の解明が重視しされているわりには、起業家を目指す人の「起業家精神」の有無や強弱、個人差と、「起業家としての成功・失敗」の因果関係について証明できる研究事例が極めて少ない。
そのためか
④他者に向かって「起業家精神を発揮せよ」と言う人は多いが、「自分は起業家精神を発揮している」と自覚している人は少ない
そして
⑤「起業家精神」を研究している人の中には実際に「起業家体験」のある人が極めて少ない
さらに、起業家精神の重要性を研究するときに、ちょっと気になる意外な事実があります。それは下記の5つです。
①「起業家精神の重要性」は、どのような組織で叫ばれているのか?
→ それは一般の企業です。小さな会社ではなく大きな会社で叫ばれています。
②大企業では、どのような事態のときに叫ばれるのか?
→ 大企業になればなるほど、組織が「大企業病」に犯されるからです。
③大企業では、なぜ、それが叫ばれるのか?
→ 企業が「大企業病」になるのは会社の中で「サラリーマン根性」で行動する社員が増えるからです。
④大企業では、誰が、誰に向かって叫んでいるのか?
→ 社長が社員に向かって「起業家精神を発揮せよ」を叫んでいます。
⑤そう叫ぶ大企業の社長自身は起業家なのか?
→ 実はサラリーマンであって、本当の意味での起業家精神を発揮したことがない人なのです。
以上述べた起業家精神に関する「5つの面白い現象」と「5つの意外な現象」から、「起業家精神とは何か?」ということを「サラリーマン根性」と対比して考えていくことも「起業心理学」なのです。
なぜ、起業家精神をサラリーマン根性と対比して考えたほうがいいのでしょうか?
なぜなら、日本の場合、殆どの起業家が、サラリーマンを経験して、そこで起業家精神を発揮したことによって、脱サラし、起業家になっていくからです。
つまり、「サラリーマン根性を克服する」から「起業家精神が発揮できる」のか?
それとも「起業家精神を発揮する」から「サラリーマン根性を克服できる」のか?
この両者の因果関係を解明することも「起業心理学」の課題なのです。
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最近、急激に増えたと実感できるのは「成功した起業家」のメディア露出でしょう。ニュースでそのビジネスが紹介されるだけでなく、会社訪問、成功談義、コメント取材、豪邸拝見から起業家自身のニュースや経済番組への出演まで実に多種多様に登場しています。最近の代表例は言うまでもなくホリエモンです。
いまでは、多くの「成功した起業家」がタレントのように顔と名前、キャラクターが一般大衆にまで知られるようになってきました。「芸能人」とまでは言われませんが、少なくとも「有名人」と言われることに違和感を持つ人はいなくなりました。
しかし、その影で「失敗した起業家」の存在がなかなか見えていません。「隠されている」のではなく、「所在が分からない」か「当人が出たがらない」のです。
その数は「成功した起業家」の数千倍、数万倍も存在しているのですが、「見えない」ことによって「起業しての失敗する人は少ない」という誤った事実認識が普及していくとしたら、それは危惧すべきことかもしれません。
その点、ホリエモンに関しては、「実像」も「虚像」もこれからかなりのことが露呈されようとしています。
成功した実例として「見えている起業家」にも、見えないコトがあります。
それは、その人が起業した経緯、起業してから成功するまでの紆余曲折の真相です。
成功した(あるいは成功を装っている)起業家は、やがて自分の起業体験を本にすることになります。当人が書くか、口述したものをライターが原稿にするかは、人によって異なるでしょうが、いずれにせよ、その本にかかれることになる内容は、大別すると下記の通りのものが多いでしょう。
①起業する前の自分(生い立ち、学歴、最初の就職・・・)
②ビジネスを始めた経緯(発心・事業プランの発想・起業の準備・・・)
③起業してから成功するまでの道のり(障害・困難・失敗・試練・・・・)
④ビジネスの現状と将来展望(会社の将来・経営ビジョン・個人的な夢・・・)
⑤当人が分析した成功要因(先見性・直感・信念・信条・努力・幸運・・・)
⑥これから起業する人へ(激励・注意・警告・アドバイス・・・・)
しかし、これらは、あくまでも「公表できる範囲」のことです。彼らでは言えないこと、書けないことがあります。それは「隠していること」もあるでしょうが、彼ら自身が「気づいていないコト」「自覚してはいないコト」もあるのです。
それらの「隠しているコト」をどのようにして表面化するか?
そして「当人が自覚していないコト」をどのようにして言語化させるか?
それが起業心理学の大きな研究課題なのです。
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「これから起業したい」と考えている人が最も知りたいことは下記のことです。
「自分も起業したい」「いつか起業できたらいいなぁ」「もうそろそろ起業したい」「起業しようと決めた」という人たちが知りたいコトは下記の5つに集約されます。
①これからどのようなビジネスをやればいいのか?(what、where)
②いつから始めれば一番有利なのか?(when)
③必要な資金をどうやって調達すればいいのか?(how)
④どうすれば起業できるのか?(how)
⑤自分は成功するだろうか?失敗するだろうか?
もちろん上記の5つは、起業の成否を分けることになる重要な項目です。上記のすべての疑問が解消すれば「起業したい人」は「始める」かもしれません。
しかし、これらについてのすべての項目で「正解」が得られる人はほとんどいません。だから、実際に起業する人が少ないのです。
現在、「起業したいという人」が100人いたとしたらその中で実際に起業する人は2〜3人しかいない、と言われています。「起業したい人」を対象にしたセミナーを20年間担当してきた私の現状認識も同じです。
そして、極めて少ない「起業した人」でも、始めて1年以内に半分は失敗して止めてしまうのです。5年も経てば始めた人の9割は失敗しているのです。それなのに、起業して失敗する人が多いのは何故でしょうか?
それは「本当の成功要因・失敗要因」を知らないからではありません。実は、それらは、もうかなり解明されてきているのです。
むしろ、いま問題なのは、「起業の成功要因・失敗要因」を教えられても、それを「納得できない」人が多いのです。最も重要な要因だと教えても、それを認めようとしない人が少なくないのです。
人間は納得できないことは自分に取り入れることないからなのです。
なぜ「本当の成功要因・失敗要因」を教えられても「納得できない人」が多いのでしょうか?
それは、社会に流布している「成功要因・失敗要因」と異なっているから「納得できない」のです。「受け入れられない」のです。
なぜ、人は「社会で流布している成功要因・失敗要因」を信じて、「本当の成功要因・失敗要因」を信じようとしないのでしょうか?
実は、それを解明することも起業心理学の課題の一つなのです。いまや「起業心理学」は、「成功要因と失敗要因を教える」より、それを否定しようとする人、認めようとしない人に、どのようにすれば納得して貰えるのかが、大きな課題なのです。
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起業心理学という概念を模索しながら探求したいのは、「成功する起業家」と「失敗する起業家」を分けることになる心理的要因です。
私は、自分自身の「失敗体験の検証」と、いままでに接してきた起業家の「成功体験の分析」から、下記の心理的な領域を重要視してきました。
①【起業願望の有無】
「起業したいと思う人」と「起業したいとは思わない人」の違いはどこから生じるか?
②【起業実践の有無】
「起業したい」と言いながらいつまでも起業しない人と、実際に起業する人との違いはどこにあるのか? なぜその違いが生じるのか?
③【起業しても続けられない理由】
せっかく起業しても続かない人が多いが、その「続かない」理由は何か?
「続けられない」本当の理由が理解されないのは何故か?
④【続けていても成長できない理由】
せっかく起業して続いていてもなかなか成長しない人も多いが、その理由は何か?
「成長しない」本当の理由が理解されないのは何故か?
⑤【起業の動機】
なぜサラリーマン(勤め人の総称)を辞めたいと思ったのか?
「転職」ではなく「起業」なのはどうしてなのか?
なぜそのビジネスで起業したいと思ったのか?
⑥【信じている成功要因と失敗要因】
何が起業の成功要因だと信じているのか?
それが成功要因だと信じる理由は何か?
何が起業の失敗要因だと信じているのか?
それが失敗要因だと信じる理由は何か?
⑦【自分が手がけるビジネス】
どのようなビジネスをやりたいと思っているのか?
どのような基準で自分が手がけるビジネスを決めようと思っているのか?
⑧【事業計画書の作成】
始めたい事業の概要は明確になっているのか?
事業概要を明確に描けないのはなぜか?
始めたいことの事業計画書は作成しているのか?
事業計画書が作成できないのはなぜか?
⑨【起業までに必要な準備】
どのような準備を必要だと思ったのか?
どのような優先順位を考えて行動したのか?
どのような準備をしているのか?
どのような準備をしていないのか?
⑩【人生観と仕事観】
「起業の成否」と「起業家の人生観」には、どのような因果関係があるのか?
「起業の成否」と「起業家の仕事観」には、どのような因果関係があるのか?
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人は、なぜ「起業したい!」「起業しよう!」と思うのでしょうか?
人はみな、同じ理由で「起業したい」と思うのでしょうか?
その「起業動機」を多角的に分析するのが、起業心理学のスタート地点です。
なぜなら、私はこの「動機」が、成功要因と失敗要因に大きく関わっていると思うからなのです。それが、私が起業心理学の拠り所にしている「仮説」の一つです
多くの人が「起業動機」と「独立動機」「退職動機」を混同しています。起業心理学では、その違いを明確にするとともに、混同してしまう理由を解明することも目的の一つです。
すべての人が「起業したい」と思うわけではありません。生涯、「起業したいとは思わない」人もいます。
では、どのような人が「起業したい」と思うのでしょうか?
どのような人が「起業したいとは思わない」人なのでしょうか?
起業心理学では、「起業したいと思う人」と「起業したいとは思わない人」の心理面での相違点も把握します。
そして、「起業したい」という人の「人生観」「仕事観」「会社観」「結婚観」「家庭観」「金銭観」「宗教観」「幸福観」などにせまっていきます。
その本音に迫る「象徴的な選択」が、「人生の充実 or 生活の安定」という二者択一です。
起業心理学では、さらに「実際に起業した人」と「結局は起業しなかった人」「起業できなかった人」を分けることになる「分岐点」にも焦点をあてます。
そこにも、当人の価値観が「人生の充実 or 生活の安定」のどちらにあるかが、大きく影響します。
その人は「人生の充実」を求めて起業したかったのか?
それとも「生活の安定」を求めて起業したかったのか?
これも、私が起業心理学の拠り所にしている「仮説」の一つなのです。